吉川社長
Sachie Yoshikawa
私はダイヤモンド。
泥の中にあっても汚れも傷つきもせず、そこから出せばまた輝く。
どんな環境においても、周囲に影響されることなく自分を見失わない。
志と誇りは高く、凛として女らしく生きてゆきたい。

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吉川幸枝プロフィール吉川幸枝プロフィール

13人兄弟の末っ子として生まれる。
幼いころに父親を亡くし、独立した兄弟たちとは離れて母とふたりで、布団・火鉢・梅干の壷だけを乗せたリヤカーを引いて田舎から名古屋へ。

生きてゆくために、母と共に住み込みで働きながら、学校へ通わなくてはならなかったが、親の生きざまを見て、その姿勢から教わった自身の持ち前の明るさ、強さで貧しさを感じることなく育った。

おにぎり一つも食べられない生活の中で、母の料理上手なところを学び、それをヒントに「美味しいものを売るほど食べてみたい・・・」と飲食業を開始。
「びっくりどんぶり」と「ぶたぞう」が大ヒットに!(登録商標取得)

当時の吉川社長住む家が無かったので、母に豪邸を建ててあげたかった。
豪邸という言葉が、あまりに派手だったため、辞書を引いたら、アメリカの豪邸は「マンション」だった。
母にマンション(豪邸)を建ててあげる約束をした。
計画半ばにして、母が「私は心だけでいいから、人に貸せるようないいものを造ってはどうか?」とのアドバイスを受けた。
こうして、20代半ばで不動産会社の社長となった。
昭和38年当時、マンションという名前はなく、「マンション」の名付け親になった。
その時建てられた建物は、(株)竹中工務店のすばらしい現場監督との出会いがあり、鉄筋コンクリート4階建てという、その当時にはない珍しい建物となった。
その建物は、現存し、あと100年でも200年でももつそうだ。



昭和38年、駅前のビルはいっさい無く、観光ホテルも木造の時代。
覚王山一体も、道路はすべて砂利道だった。その中に建つ、コンクリート打放しの斬新な建物。



13人兄弟の末っ子でいつもお古ばかり着ていたから、売るほど洋服が欲しい・・・とファッション業界にも参入。
好きだった絵、美大進学の夢を諦めざるを得なかった悔しさをエネルギーに変え、次々と事業を展開。


緑に囲まれた名古屋市にある高級住宅地・覚王山の一角に、一流料理人が腕を振るう、フランス料理レストラン、イタリア料理レストラン、日本料理店を集めた。



各店は、一本の道の両側に立ち並び、緑の庭園に包まれる。それを「よし川ビレッジ」と名付けた。

 ◆フランス料理レストラン レトワール・ドゥ・ジェアン
 ◆イタリア料理レストラン エノテカ
 ◆日本料理店 よし川新別館 / 繭の家



「歩く百億円」の異名をとる、数々の大きな宝石をつけるスタイルをブランドに、各種テレビ番組に出演している。(すでに取材回数は700件を超える。2006年7月現在)

お店で、輝く宝石を身にまとい、食事中のお客様のテーブルを回るのは私の舞台。ひとつが何十億円のジュエリーはすべてが舞台衣装。仕事以外はいっさい身に付けない。グロテスクになるほど付ける(笑)のは、お客様に楽しんでいただきたいだけ。

真面目・忍耐・努力に勝る才能はない! 成功に早道・近道・要領よくの近道はない! をモットーに、まだまだやりたいことが沢山。
全女性から「すばらしき先輩」と思われる人生を目指して、すでに120歳まで計画が立っている。



株式会社よし川
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