【2013年6月の言葉】


“旬の分け合い”

吉川幸枝墨絵

“旬の分け合い”

私ってね、忘れられていく方に生きているのよね。
文明が発達すると、文化が無くなっていくような気がするの。
最近はね、タクシーで走る。新幹線が早くなる。
昔はシュポシュポやってたよね。
今は「汽車の窓から」という言葉がない。

昔はね、本線じゃなくて山道の急カーブになるとすごくゆっくりになって
降りてもいいぐらいゆっくりになるときに、
そこらへんで働いている農夫さんたちが、すぐ食べられる畑で採れたものを
窓から放り込んでくれたのよね〜♪
きっと、乗っている都会の人はお礼にお菓子を投げたんじゃないかな?
そんな光景は今はないよね。
今は今でいいけれど、それはそれで良かったのよね。

新幹線だと目的地しかな見られなくなってるのよね。
同じように、生きる上でもビュンビュン飛ばしちゃって
大切なことを飛ばしちゃっているんじゃないかな?

コマが悪いよね。
一コマ、一コマが大事にされていない。
だから、きめ細やかさが無くなってしまう気がするの。
アナログの時代は、一コマ一コマを大切にしていたから映像も綺麗だったよね。
今は全く違う空間から持ってきてしまうから、インスタントになってしまう。
丁寧に生きられない。
こう言うところが違うんじゃないかな?
そんな風に、今、自分たちが飛ばしちゃっていることを忘れないで
ちょっと見直してみたらいいと思うの。
“飛ばす”という言葉があるけれど、
それは、いいものを飛ばしちゃって、見落としているということなの。
いいものが分からずに終わっちゃう人生になったらさみしいよね。
そろそろゆったりしたらどうかな?

これだけないと生活できない・・・ってみんなが言う。
昔は食べ物も自分の庭で作る程の土地があったのよね。だからゆったりしてたよね。
みんながそんなにあくせく、飛ばして無かったわね。
だから私は、“歩く”100億さんなの(笑)。
もちろん走ってきたわよ、ゆっくりも寝てないよ。
でもね、大切なものは飛ばしてない。
それがガラクタにならずに、人間国宝、重要文化財になる道だと思うの。

私ってね、常に「旬」を生きているのよ。
それぞれの年齢に「旬」があって、私はそれを生きているの。

例えばね、私は今、少し足が悪いわよね。
だから、時には肩も借りなきゃいけないし、重いものは持ちたくないし、
若い頃は3時間寝れば大丈夫だったけれど、今は5〜6時間は寝たい(笑)。
そんな中で、助けてもらえる、やってもらえる状況を作れて
楽しくすごせる旬をもらっているの。

私は、若いあなたのあり余る力を借りて、重いものを持ってもらったり、
往復を走ってもらったりする。
そんな若い旬をもらえる子たちが、いっぱい傍にいるということが嬉しい旬よね。

そして、若い子たちは、私のどこを旬ととらえてくれて受け取ってくれているのかな?
私の足の痛い時は、肩を貸してくれて、重い物を持ってくれたりする。
その時、私はその子たちの心の肩を貸してあげてるし、
心の重いものを持ってあげているのよね。
その子たちにとって、とっても持ち切れない重い(ちょっと苦しい)生きる心の持ち物をね。
それは私にとって経験から、楽々と持てちゃうから、
その子の心から、重いものを全部はずしてあげられることが、私の旬よね。
これが私の旬の力よね。

こんな風に人生の旬があるのよね。
私、旬まるけ。
旬の真っただ中よ〜(笑)。

吉川幸枝

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