【2012年11月の言葉】


“無茶は大切”

墨絵

人生、無茶な時を持たずして生きる。
それは何をも成し得ない。

人生には無茶ができる心と体が入用。
この2つがないと無茶はできない。

我武者羅
無我夢中

どちらも“無”が使われています。
これは心の話ですね。

無茶というのは、
その上に、食も忘れ、お茶を飲むのを忘れて没頭するということを当て字として、私たちは“無茶”と話していますね。

誰も“この時”がある大変な時、ここで踏ん張らないとなんともならないという“ここ一番”という時には、
無茶をしなければ乗り越えられない。
心と体が一体となって踏ん張りの無茶ができないと、本当に無茶苦茶になってしまう。
労して報われずに終わる。
それを人は「苦労したのに・・」という。
吉川幸枝に苦労したという言葉が残らないのは、すべてのことを乗り越えて答えを出したからなんです。
良くするための乗り越えの無茶で結果が出る。
それはとても良い答えである。
その結果によって苦労という言葉は消えてしまって、わが人生には苦労は残らない。
頭の中にも心の中にも残らない。
だから、爽やかだ。
だから、いつまでも若くて元気で爽やかである。その上、美しい!(笑)

結果を出すために、無茶ができる体と心を日ごろから作っておこうね。
それができないと、大きな大きなチャンスも逃がしてしまう。

でも、みんな型と目に見えるものに囚われがち。
心と体の導きが大切なの。
どんなことかというと、たとえば私は、体操を約40年間個人教授を受けています。
体に体感して受けているけれど、心にも体操をしています。

型ではなく、それによってどう体が反応してゆき、 力となっていくさまがまじまじとわかるの。
自分の中の心が肉体と共に力強く鍛えられてゆく時、“やるぞ!これでできる!”ということが体で感ずる。
これが、心が動かす体への力づけの導きとなるのを知ったの。

人生に無茶は大切。
人生の荒波を乗り越えるには、無茶な力が必要。
無茶のできる心と体を作らねば無茶はできない。
私は荒波を乗り越えて、乗り越えて、その結果の喜びを知りすぎて
無茶な日常に慣れてしまい、足を痛めて歩くのが少し困難なのに、まだ休むことを知らない。
そんな時に、10年間の私を見て「本物の人間が作りたい!」と ほんもの女塾を作った塾長の川北が
「会長、会長には安静が必要です」と言った。
そこで私が「安静とはなんぞや?」という顔をしたら、彼女の顔もびっくり顔だったわ(笑)。

でもね、本当に無茶は大切なの。
無茶のない人生は、荒波を乗り越えられないの。

初めは自分の背丈に合わせて無茶をしてください。
そのうちにだんだんと、大〜きな無茶ができるようになります。
その時、人生の大きな荒波を乗り越えてしまっているあなたの姿が想像できます。

本当に、本当に大切なの、“無茶”はね。

「本物を知らないで本物の経営ができるか?」吉川幸枝の言葉

2013年2月スタートのほんもの女塾については
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